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介護老人保健施設みどりの杜

5月30日(日)

本日は、「介護老人保健施設みどりの杜」の運営母体である「社会福祉法人みどりの風」の理事会が開催された。

本年1月から、私は、当法人の理事長に就任しており、本日は平成21年度の事業報告書・決算報告書等の審議を行った。

ここ数年、介護人材の不足が社会問題化する中、幸いにも当施設はそういった局面に陥ることなく、優秀なスタッフ達に恵まれてきた。
また、平成21年度決算も非常に優良な財務内容で終わることができ、全職員に感謝である。

下記写真は、「みどりの杜施設」と「みどりの風の塔」

みどりの杜

みどりの風の塔
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第61回 全国植樹祭

5月23日、第61回全国植樹祭が神奈川県において開催された。

それに先立ち、

5月22日には、湯本富士屋ホテルにてレセプションが行われ、私もご招待を受けた。
それは、私が環境農政常任委員会副委員長であったからなのだが、当夜、光栄なことに、委員長とともに天皇陛下にご挨拶する機会を得た。感激至極であった。

さて、翌日は、本番の植樹祭であり、足柄森林公園丸太の森地区、秦野戸川公園地区の二か所がメイン会場となって、天皇皇后両陛下がご来臨されたが、天候は生憎の雨となってしまった。

しかし、全ての行事は予定通り終了し、大した問題も発生せず、本当に素晴らしい式典となった。

(私も、秦野戸川公園地区内の林の中に、記念植樹をさせていただいた・・・杉の苗木)

まさに、この植樹祭の式典の間中、頑固にも降り続けた雨は、天皇陛下の御威光で、森の恵みの雨に変化を遂げたのだと感じた次第。

不敬とは思いつつ、陛下のお写真を撮らせていただいたので、掲載させていただく。

植樹

植樹祭

天皇陛下

日本ウィグル協会懇親会

本日、九段会館にて、「日本ウィグル協会懇親会」が開催された。

本来なら、世界ウィグル会議のラビア・カーディル総裁が来日の予定であったが、急遽来れなくなってしまったとのこと。

しかしながら、セイット副総裁が来日され、日本ウィグル協会会長イリハム・マハムティ氏の号令のもと、予定通り、ウィグルを支援する多くの有志の皆さんが集った。

ちなみに、懇親会参加の政治家は、私を含め、地方議員4人だけである。

ウィグルを支援するということは、中共を敵に回すことに他ならない。

私達、草莽議員は、そこらへんの中途半端な政治家より、遥かに強い信念と覚悟を持って活動している。

下の写真は、イリハム・マハムティ氏と私である。

ウィグル

青山学院大学にて講義

本日は、毎年恒例の青山学院大学での講義を行った。

テーマは「国際マーケティング」

神奈川県議会議員である私としては、

神奈川県が行政としていかにマーケティングを行っているかという観点で、
主に「インベスト神奈川」や「海外駐在員事務所」の事例をあげて話をした。
また当然ながら、政治家について、あるいは先月訪問したイスラエル国を題材に入れながら、バライティに富んだ内容を心がけたつもりである。

しかし、いつもながら、昨今の学生の反応というのは、なかなか捉えどころがないと若干感じた次第。

イスラエルの若者と較べて、いかに、日本の学生が平和な社会にドップリと浸かっているか。

青山学院

ちょっと過激な小島健一県政報告会

5月8日(土)

青葉公会堂の2階会議室にて、「ちょっと過激な小島健一県政報告会」を開催した。

ゲストは、私の尊敬する山谷えり子参議院議員

午後3時からにもかかわらず、午後2時前から参加者の皆さんが来場し始め、最終的には、青葉区は言うに及ばず、神奈川県下から、130名を超える方々が来られ、会場は熱気に包まれ、室温が熱いほどであった。

さて、私の話しとしては、昨年の県議会一般質問の内容を中心に話させていただき、特に、道徳教育については、知事や教育長からもお墨付きをいただいた「海の武士道」という補助教材のDVDを実際に皆さんに見てもらった。

「海の武士道」については以前のブログでも紹介したが、私自身もその普及運動に当初から関わっている。

そして、見終わった方々からは、感動と称賛の嵐であって、「是非とも子供に見せたい」、「どこで買えるのか?」という質問を多くいただいた。
ちなみに、このDVD付き書籍「海の武士道 DVDBOOK」については、大きめの書店か、アマゾンで購入可能である。


午後3時から5時までの県政報告会の中で、山谷先生には後半の1時間、講演していただいた。

夫婦別姓、外国人参政権、性教育問題、昭和天皇、家族の絆等々、まさに山谷ワールドといえる1時間であり、私もそうだが、話の最後には誰の目からも涙が止めどなく流れてきた。

そして講演後、山谷先生と私で、来場者の皆さんを見送ったのだが、口ぐちに感動した!とのお言葉をいただいた。

(さらに、4月に上梓されたばかりの山谷えり子著「日本よ、永遠なれ」のサイン入り書籍も飛ぶように売れていたことを付記しておく。)

日本に革命を起こそうとしている勢力との戦いとなる参議院選挙まで、あとわずか。

私も山谷えり子応援団の一員として、戦わせていただくつもりだ。

山谷えり子


イスラエル紀行(9)

4月23日早朝

帰国のために、ベングリオン空港へ。

イスラエルからの出国検査は、非情なほど、厳しいことで有名。
そこまでするかという位のチェックと質問が各人に為される。

何とか、無事通過し、

10:45 テルアビブ発 トルコ航空でイスタンブールへ。約2時間。

日本行きの乗り継ぎ便まで、6時間ほど待ち時間があるため、イスタンブール市内を視察。

ちなみに、今年は、トルコにおける「日本年」である。


①トルコが親日国家になったきっかけである「エルトゥールル号」に関する資料が展示されている海事博物館を訪問。
 今年は、「エルトゥールル号」遭難事件から120年目の年にあたる。
トルコの小学校の教科書にこの事件が紹介され、歴史の授業で教えられているが故に、今なお、トルコは親日国家なのである。反日教育をしている韓国や中国とは極めて対照的だ。

 エルトゥールル号については、下記ウィキペディアを参照願います。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ここには、山田寅次郎氏に関する資料がたくさんあり、ビザやパスポート、ポートレートが陳列されていた。

山田1

山田2


②世界遺産である「アヤソフィア博物館」へ

世界遺産1

世界遺産2

世界遺産3


③貴金属の店が軒を連ねる有名なグランド・バザールへ

グランドバザール


そして、市内で夕食後、

23:50 日本行きのトルコ航空で帰国の途へ。 約11時間


4月24日 18:00頃 関空着

その後、羽田便へ乗り継ぎ

4月24日 20:25 羽田着


今回のイスラエル視察9日間を通じ、私は非常に貴重な経験をすることができたと実感している。

日本では、議論さえタブーとされる宗教問題や民族問題。
そして、国防、安全保障、自衛隊の国際貢献、歴史教育の重要性、等々。

近々、私が毎月ミニコミ誌に寄稿している「青葉区随想」「旗幟鮮明」において、今回の経験を踏まえ、今の政局を絡めながら、私なりの視点で論じてみたいと思う。


最後に、

機会があれば、是非、「イスラエルへの旅」をお勧めします。

イスラエル紀行(8)

4月22日

マサダの砦へ向かう。

ローマ軍に追いつめられたユダヤ人が最後に籠城したのがマサダの砦。
1万人の兵士がマサダを取り囲んだが、それでも、抵抗は2年以上も続いた。

そして、西暦73年、女性子供を含む976人が自決し命を絶った。生存者は女性2人と子供5人。

その自決の様子は、ヨセフスの「ユダヤ戦記」に、こう書かれている。

・・・夫は妻と相抱擁し、子供を腕に抱きしめ、目に涙を一杯ためながら別れのキスをした。そして、敵の手によって苦しめられる悲惨さから解放しようと、男たちは自らの手で最愛の者たちを殺した。そして、彼らの中からクジで十人を選び、残りの者たちは妻子の脇に身を横たえ、彼らの上に腕をまわして、首だけ差し出した。選ばれた十人は恐れることなく使命を果たした後、再びクジで一人を選び、殺されていった。最後に残った一人は、宮殿に火をつけ、自らの剣を体に刺し貫いた。・・・

今も、ここで、イスラエル軍の入隊宣誓式が行われ、式の最後は「マサダは2度と陥落させない」という言葉で締めくくられる。

まさに、マサダの砦は、イスラエル防衛の精神的な支柱なのだ。

我々がロープウェイでマサダの砦に着いた時には、ちょうど12歳の女の子の成人式儀式が一族を集めて行われていた。

マサダ1

マサダ2

マサダ3

その後、

べソールという所にある、大きな溜池へ。

ユダの荒野といわれるイスラエルを開墾するには、水の確保は不可欠であり、この溜池の巨大さこそが水の確保対策に対するイスラエルの姿勢を示している。
ちなみに、写真にある人工池の下は、分厚いビニールシートで全体が敷き詰められている。

大池

その後、

初代首相ベングリオンの家と御墓へ。

ちょうど地元の小学生達が、授業の一環だろうか、遠足にきていて、先生たちの説明を受けていた。

ベングリオン家

ベングリオン家2

ベングリオン墓

その後、テルアビブへ移動。

その晩は、ホテルの会議室にて、アドモニ元モサッド長官夫妻、レブラン元将軍夫妻を招き、ブリーフィングと夕食会。
イスラエルの大物二人を交え、極めて有意義な話しができたと私は感無量であった。

また、下記写真で立ち上がっているのが、アドモニ氏夫人のニーナさんで、何と、杉原千畝氏の出したビザで命が助かった方である。ニーナさんが7歳の時であり、しばらく神戸に滞在していたらしい。

また、ブリーフィングの内容としては

例えば、核兵器の有無については、当然のごとく、「ノーコメント」との返答。

そして、やはり、昨今のイランの核開発などの拡張主義はイスラエルにとって最大の脅威であるとのこと。
日本と違って、イスラエルは常に相手を攻撃する用意がある、と。

また、イランの脅威と同様に、テロの脅威についても詳しく言及されていた。

ブリーフィング

イスラエル紀行(7)

4月21日

この日の午前は、元駐日イスラエル大使コーヘン氏の仲介で、IAI(イスラエル航空産業)工場を見学。

国家機密上、入口で厳しいセキュリティチェックがあり、尚且つ、敷地内撮影禁止である。
イスラエル政府が全額出資している会社であり、国内各地に工場があるが、我々はベングリオン空港に隣接する本社を訪問。従業員は17,000人。

IAIの経営の柱は

①無人偵察機の製造

②ビジネス用ジェット機

③航空機のメンテナンス

我々の質問において、軍事機密に触れる事項については答えてくれなかったが、パトリオットの部品の一部も製造しているとのこと。メンテナンスについては、日本の三井物産?と資本提携があるらしい。

下記写真は、バスから撮った広大な敷地を持つIAIの会社の一部。

IAI


その後、独立宣言の家へ。

1948年5月14日 下記写真の部屋で独立宣言が為され、ベングリオンが初代首相となる。

しかし、予想通り、翌日の5月15日、レバノン、シリア、ヨルダン、イラク、エジプトの連合軍がイスラエルに宣戦布告、第一次中東戦争が始まる。以降、今日まで終わりなき戦いが続いているのだ。

ベングリオン


午後は、クムランへ。

ここは、1947年にベドウィンの少年により、いわゆる死海写本が偶然発見された場所。
この写本の発見は、20世紀最大の考古学的発見とも言われており、世界の聖書学会にセンセーションを巻き起こした。

クムラン

洞穴の中、土器の壺に保存されていた。紀元前2世紀頃のものとされる。下記はその模型。
クムラン2


その後、今夜の宿泊地であるエイン・ボケクにあるホテルへ。

ここは、死海に面したホテル。

塩分33%、海抜下400メートルにある死海は、御存じの通り、決して溺れない湖。
さっそく、私も泳いでみたが、まず、水質がヌメッとしており、確かに、物凄くしょっぱく、目に入ったら激痛が走るほど。そして、かつてテレビで見たことがあったが、湖に浮かんだまま新聞が本当に読める。

皆さんも、一度は経験してみる価値はあると思う。

死海1

死海2


そして、翌日は、いよいよユダヤ民族結束の象徴である「マサダ」へ。

以下、次号。

イスラエル紀行(6)

4月20日 夕刻

独立記念日に際しての大統領官邸レセプションに出席。

本来、各国大使や武官レベル以上の者でないと参加できないとのこと。

今回お招きいただいことは、非常に光栄なことであった。

下記写真は、イスラエルのペレス大統領。80歳を超えていらっしゃるそうだが、原稿なしで堂々としたスピーチをされていた。ちなみに、イスラエルではヘブライ語が公用語だが、大統領は英語でスピーチされていた。

大統領1

そして、私と西村眞悟先生と水ノ上成彰堺市議会議員。

大統領2

レセプション会場では、諸外国の武官と話しをする機会を得た。

まず、在イスラエル日本大使館の防衛駐在官の島津1等空佐と令夫人。

大統領3

そして、ゴラン高原に派遣されている自衛隊部隊の上官にあたるフィリピンの武官。
非常に、日本の自衛隊を評価されていた。

大統領4

我々のメンバーは8人参加させていただき、女性は日本の着物に着替えて参加したため、あちこちの国の方から記念撮影の依頼があったようだ。
下記写真の真ん中にいるのはアメリカの武官であり、何でも、二人の息子さんも軍人であって、その内一人が沖縄のキャンプシュワブに駐在しているとのこと。
そして、「息子はグアムに異動する準備をしていて急に延期になったらしいが、日本の基地問題はどうなっているのか?」と質問され、私は思わず答えに窮してしまった。
日本の安全保障に対する無為無策が、遠くイスラエルで批判されるとは、改めて民主党政権の平和ボケに腹立たしさを感じた次第である。

大統領6

大統領官邸レセプション終了後は、エルサレムにあるマクヤセンターにて、イスラエルに留学等している学生の皆さんが我々のためにバーベキューパーティを開いてくれ、現地の様々な話しを聞くことができた。

マクヤ

以下、次号へ。

イスラエル紀行(5)

4月19日 午後

いよいよ、あの有名な「嘆きの壁」に向かう。

バビロン捕囚から帰還したユダヤ人が建て、ヘロデ王が改修した神殿が、西暦70年、ローマ軍により破壊され、その時に部分的に残った神殿の西側の外壁が「嘆きの壁」、もしくは「西の壁」と呼ばれている。

まさに、ユダヤ教の聖地。

ここは、入口で荷物チェックがあり、祈る場所も男女別々で、圧倒的に男性側が広いスペースを占有している。
さらに、男性は帽子をかぶっていないと中に入れない。しかし、持ってない場合はキッパという小さな帽子(紙製)を入口で貸してくれる。

壁の石の隙間には、多くの巡礼者の願いを書いた紙が挟まっていた。

壁1

壁2

壁3

夜は、イスラエル国独立62周年祝賀式典へは人数の関係で、私自身は行けず、代わりに、各地で開催されている記念イベントの一つであるエルサレムフィルによるコンサートに赴いた。

コンサート



4月20日

イスラエル国独立62周年記念日

エルサレムの夜明け(下記写真)
こんなにも神々しいのはどうしてだろうか。

日の出

まず、ヘルツェルの丘へ。
ここは、昨晩、62周年独立祝賀式典が行われた場所であり、イスラエル建国の父と呼ばれるヘルツェルが眠っている。
また、暗殺されたラビン首相をはじめ、国に尽くした多くの政治家や兵士が眠っている象徴的な場所でもあり、
ここでは、我々はイスラエルのジャンヌダルクと呼ばれている「ハンナ・セネシュ」の墓にも黙祷をした。
ハンナはナチから同胞ユダヤ人を救出する極秘作戦に志願し、パラシュートでユーゴスラビアに降下、ハンガリーに潜入したが捕えられる。そして、獄中で数々の拷問を受けたが、最後までナチに屈することなく、23歳の短い生涯を終えた。

ヘルツェル1

ヘルツェル2

その後、我々は、イエスが十字架を背負って歩いた道「ヴィア・ドロローサ」を歩いた。
ヴィア・ドロローサとは「悲しみの道」という意味。
このあたりは当時も今も繁華街であり、イエスは大勢の大衆の目にさらされたのだろう。
最終地点である「聖墳墓教会」まで写真を羅列させていただく。
聖墳墓教会は、イエスが磔刑に処せられたゴルゴダの丘の上に建てられた教会。

イエス1

イエス2

イエス3

イエス4

イエス5

イエス6

イエス7

イエス8

イエス9

イエス10

この日の夕刻、

大統領官邸でのレセプションに参加するが、
詳細は次号へ。




イスラエル紀行(4)

4月18日 夕刻

聖地エルサレムに入る。

オリーブ山に登ると、ここからエルサレム旧市街を一望できる。

御承知の通り、エルサレムはユダヤ教、イスラム教、キリスト教、どの信者にとっても聖地であり、数千年にわたって、この街をめぐって多くの血が流されてきた。

世界の民族紛争、宗教紛争の原点と縮図がここにあると私は昔から思っており、生涯に一度はこの場所に来たいと思っていた。

エルサレム1


4月19日

この日は戦没者記念日である。

まず、ゲッセマネの園へ。
おそらくイエスの時代からあるのだろう、オリーブの巨木。ここをイエスは頻繁に訪れていたと言われる。

ゲッセマネ

そして、続いて、その横にある「万国民の教会」へ。
その中に、イエスが最後の夜を、祈りながら過ごした岩の一部が置かれている。
ところで、私がその岩に触ろうとしたら、韓国人巡礼者の一人から、帽子をとれ!と注意された。
(後述するが、逆に、「嘆きの壁」では、男性は帽子をかぶらないと中に入れない)

ゲッセマネ2

その後、

鶏鳴教会へ。

弟子のペテロが自分に罪が及ぶのを恐れ、イエスの予言通り、鶏が鳴く前に三度「イエスのことを知らない」と嘘をついた場所がここである。

鶏鳴1

この教会の脇の石段は、調査の結果2000年前のものと判定されている。(現在は立ち入り禁止)
即ち、この石段は間違いなくイエスが歩んだ道なのだ。

鶏鳴2

その後,

我々はバスに乗って移動。

そして、午前11時。長いサイレンが鳴る。

すると、何と、歩行者、公共バス、自動車、電車、その他すべての交通機関が停止。運転手は全員、外に出て、すべての国民が2分間の黙祷を、戦没者に捧げる。正に、感動的な光景である。日本ではありえないだろう。

サイレン


その後、ヤド・バシェム(ホロコースト歴史博物館)へ。ヤド・バシェムとは「記念と記憶」という意味。

御承知の通り、先の大戦で、ナチスにより600万人のユダヤ人が虐殺された。

広島とはまた別の意味で、人間の残虐性と人類の悲劇を思い知らされた。

そして、広い敷地内には、当時命のビザを発行してユダヤ人を救った杉原千畝のプレートがある。

ホロコースト1

ホロコースト2

その後

嘆きの壁へと向かうが、

以下は、次号で。

イスラエル紀行(3)

4月18日

ユダヤ国民基金農業試験場にて記念植樹。

そもそも、ユダヤ人はユダの荒野を、開墾と植林によって豊かな大地に変え、食料自給率100%を超える国家を築いてきた。

また、ユダヤでは、植樹をすることは死者を悼む行為の一つとのこと。

樹を植えることで、新たな命が根付き、新たな希望が生まれるという考え方である。

そして今回、私は、イスラエルの地に、「樫の木」の苗木を植えた。

(植樹した場所には、定期的に水が供給される仕組みになっている。)

植樹1

植樹2

その後、

パレスチナ自治区にあるエリコへ移動。
そこに入る際に、何と、アラブ人が運転する少々オンボロのバスに乗り換えた。この方が、現地で都合が良いらしい。
パレスチナ自治区は明らかに、イスラエル国内とは雰囲気が異なり、いきなり街全体が雑然とする。
それだけを見ても、宗教だけではなく、民族性や生活習慣が異なるユダヤ人とアラブ人が、仲良く住めるはずがないだろうと感じた次第である。

エリコ1

エリコは、今から3000年前、モーセに率いられてエジプトを出たイスラエルの民が40年間シナイの砂漠をさまよった後、モーセの後継者であるヨシュアの指揮下、待望のカナンの地に入り最初に攻め込んだ街。街の城壁の周りを7回ラッパを吹き鳴らしつつ回ると、城壁が崩れ落ちたという「エリコの戦い」の舞台となった場所。

また、エリコには「ルカによる福音書」に出てくる徴税人ザアカイが登り、イエスと出会ったというイチジク桑の木がある。

エリコ2

エリコ3

午後は、元駐日イスラエル大使のエリ・コーヘン氏宅を訪問。
氏は大の親日家で、松濤館空手の高段者でもある。
現在は、大学の理事長をしながら、日本などとの貿易関係の会社も経営されておられる。
平均睡眠時間3時間とのことで、イスラエルのために本当に命をかけている尊敬すべき愛国者だ。
世界に散らばっている日本大使もこの位の国に対する思いが絶対に必要だろう。
邸宅内には日本の浮世絵や「大和魂」の掛け軸がかけてあった。

コーヘン1

コーヘン2

さて、この後は、いよいよ聖地エルサレムに入る。
以下、次号へ。

イスラエル紀行(2)

4月17日午後

テルハイにある「トルンぺルドールの記念館」へ。

テルハイにおいて、20世紀初頭、ユダヤ人入植者たちによる住居が建設された。
トルンぺルドールはその地域の指導者であり、後にアラブ人の襲撃により殺害される。

テルハイを守り、戦いに倒れていった彼らの姿は、祖国を守るために最後まで戦い抜く現代ユダヤ人の精神と勇敢さのシンボルとなり、イスラエルの若者たちにとって常に勇気の模範となった。そして、それは、独立戦争の不屈の精神へとつながっていく。

トルンぺルドール自身は、日露戦争にロシア兵として従軍し、敗戦後、捕虜として現在の大阪府高石市の浜寺捕虜収容所で一年ほどを過ごした。彼は、その日本の地でシオニズム運動に目覚め、帰国後、間もなくして、イスラエルの地へ帰っていく経過をたどっている。日本で、おそらく武士道精神にも影響を受けたであろう彼は、現在、イスラエル建国の英雄の一人として歴史に名を刻んでいるのだ。

テルハイ1

テルハイ2

その後、ゴラン高原に派遣されている日本の自衛隊を表敬訪問。
自衛隊は、正式には、UNDOF(国際連合兵力引き離し監視隊)の組織に組み込まれ、46人が日本から派遣されている。

その任務は

①食料品等の日常生活物資等の輸送
②補給品倉庫における物資の保管
③道路等の補修等
④重器材等の整備
⑤火災発生時における消火及び延焼の防止等
⑥除雪等

現在の隊長は、佐藤慎二3等陸佐(下記写真)

ゴラン高原1

我々は、現地のお菓子やコーヒーを御馳走になりながら、日々の任務の状況やご家族のこと、武器の使用にいたるまで諸々の意見交換をした後、最後に全員で「故郷」を合唱。ちなみに、西村眞悟先生は、それに続いて、お一人で「抜刀隊」を吟じられた。

ゴラン高原2

我々が出会った自衛隊の諸君は、各人が日の丸を背負っているという自覚をもって、日々の任務を真摯に遂行しており、他国の部隊からも非常に高い評価を得ているようだった。

自衛隊のゴラン高原へのPKO派遣開始から早15年目になるが、日本の国民はこの現状をほとんど知らないか、忘れてしまっているのではないか。

マスコミも、政治家も、もっとこの現実を認識して、国際貢献における自衛隊の価値と重要性をもう一度評価すべきではないか。
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